小林カツ代はこんなにいろいろ食べてきた
紅しょうがの天ぷらなるものがあるのを知ったのも、大阪の人が「紅しょうがの天ぷら」と発する時に、なつかしそうにニヤっと笑うのに気づいたのも、30歳を過ぎてからだった。
高校卒業まで九州にいた私は紅しょうがの天ぷらなるものがこの世にあるとは知らなかったし、初めて聞いた時は怪訝に思ったものだった。
しかし大阪在住20年にして、今では立飲み屋でそれをメニューに見つけると、ニヤっと「紅しょうが天いっとく?」と率先して言うまでのファンになった。
小林カツ代さんは生涯で200冊を超える料理本を出版した料理研究家。
1937年に大阪日本橋の、製菓材料の卸問屋を営む商家に生まれ育った。
千日前や船場は彼女の庭みたいなもんで、そりゃー食道楽お嬢さんっぷりが読んでて楽しい。
商人の家に育ったカツ代ちゃんは幼い頃からハイカラでうまいもんに囲まれて育ってきたのだ。
ある日は母と千日前に映画を見に行って、帰りは喫茶「アメリカン」でカツサンド。
そして小学生の頃からカツサンドにはコーヒー。
ほぼ毎日喫茶店に通っていた父との思い出、「丸福珈琲店」のホットケーキ(パンケーキではなく!)にははちみつがおすすめ。
料理研究家になるきっかけとなった洋食店、北新地の「菱富」のオムレツ。
今も人気の「一芳亭」のしゅうまいは中華料理にうるさいカツ代の父も認めた味。
もちろん、東京ではあまり見かけない「豚天ぷら」について言及するのも忘れない。
朝ごはんを食べるなら中央市場の「みよし食堂」。みよし食堂のおかず一品一品について彼女が解説。それがどれも美味しそうな描写で、食べる事が好きでたまらない様子が存分に伝わってくる。
そしてもちろん、紅しょうが天。黒門市場で買う手のひらほどの大きいのがお気に入り。
風邪をひいたら「今井」の鍋焼きうどん。
「もしもし、鍋焼き頼みます。ちょっと風邪引きましてね。おくすりつけておくれやす。」
と注文すると、おうどんと一緒に薬もつけて運ばれてきたそうな。
「うどん屋の風邪薬」と呼ばれていたそうで、薬(葛根湯みたいなもん?)を飲んであつあつうどんを食べると、汗がドッドッと出て鼻も通って軽い風邪なら治ってしまうとな。
他にも料理上手な母の作る料理を、奉公人の方々と食べた思い出。
粉もの卸問屋ならではの、家でつくるケーキ、ドーナツ、パン・・・。
お店の味、家庭の味、家族との話、どのエピソードも、食べ物やそれを作る人、まわりの人たちへの愛情が溢れていて、読んでいる者もその温かい湯気の中に包み込まれるよう。
カツ代さんの語り口調でつづられた文章は、上品な大阪弁でこれまた読んでて気持ちいい。
リズム感があって(浜村純さんみたいな感じ)リズムよくすらすら読める。
なんだかとても大阪という街がうらやましくなってしまうのだった。
Chinaru Higuchi
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